よく、人が死の危険にさらされているときなどに
それまでの人生で経験してきたことが「走馬灯」として
脳裏をよぎるということを聞いたことがあるかと思います。
あれは、死の危険を乗り切る方法が無いか必死で脳が考えている状態
なのだそうです。
しかし、それは事故などの場合で命を落とすかもしれないときに限った話で、
家族に見守られながら大往生を迎える人の場合には当てはまらない
ような気がします。
よく、「人生の意味って何?」と聞いてくる人がいますが、
僕の場合は「まだ分からない」と答えます。
その人の聞く「人生の意味」は、その人の今の時点での
人生でしかないからです。
そう考えると人生の意味は人によって無限に存在します。
本当に人生の意味が分かるのは(自分の人生がなんだったかが分かるのは)
命を落とす直前ではないかと考えます。
「死ぬ間際」その時点が、その人が生きてきた中で
一番時間が経っている時間だからです。
生きてきて一番時間が経った瞬間、その瞬間に
人生の意味が分かるのではないかと思います。
そのために、人生の総決算として「走馬灯」があるのだとぼくは考えています。
どういった人生だったか思い返すための物、そんな風に考えています。
しかし、人は本当に走馬灯を見るものなのでしょうか?
今までの証言者は、生還した人ばかりのような気がします。
本当に命を落としてしまったら、
「死ぬ直前に走馬燈をみた」かどうかの証言は得られません。
僕は昔、交通事故にあったことがありますが、そのときは小学校一年生で
あまり人生経験が無く、思い返すことも少なかったかなと思いますが、
あの時確かにその日一日の出来事が少し思い返されたように思います。
その後は意識を失って、気がついたら病院でしたが、
今はこうして元気に暮らしています。
やはり「走馬灯」は生きているときに見たいものではありませんね。
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