中学や高校で古文や漢文を勉強していて、
「こんな知識はいつ使うんだろう?」
「必要ないんじゃないか?」
と考えたことがあるかもしれません
今回は、古文や漢文を学ぶ意味について考えてみます。
なぜ学ぶか?
多い意見としては、
「教養の一貫」、「それで食べていっている人がいるから」
「努力の練習」、「入試で必要だから」
というものでしょう。
なにかを成し遂げる手段の一つとして
古文、漢文を学んでいる人が多いようです。
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実は、それら以外にも古文や漢文を学ぶ大きな理由があります。
では、実際に現代人の生活のどこに古文漢文の知識が
使われているのか、具体的に見ていきましょう。
古文漢文はこう使われている
社会人になると、経済学の本や、自己啓発の本、
マーケティング、政治、その他様々な本を読む機会が
増えるかと思います。
そういった本にも古典の考えが散りばめられています。
例えば、経済の本であれば、人にものを売るために必要な
ものは何かが書いてあるとしましょう。
たいていはこのようなことが書かれているはずです。
「まずこちらからお客さんの利益になるものを提供しなければならない。
そうしてやっとコアなファンがつき、会社の商品に興味を持ってくれる。」
つまり商品を提供する側が何かしらのアクションをお客さんに対して
行わなければ商品は売れないということです。
この元となっている考え方は、古典「孟子」に出てくる
「先義後利(せんぎこうり)」という言葉が始まりです。
先に義を重んじた結果、後から利益がついてくる
ということです。
ありとあらゆる経済の本に応用されている言葉であり、
商売をする人はほとんど無意識のうちにやっていることです。
これを意識していれば、自分が商品を押し付けられた時に
不愉快な気持ちになるのはなぜかがわかるようになります。
本には必ずと言っていいほど、その本を書くにあたって
参考にした本「参考文献」が存在します。
何も見ずに一冊の本を書き上げるのは至難の業です。
何かしら参考にしながら本は書きます。
ではその本の参考文献となった本の参考文献は?
さらにその本の参考文献は?さらに…
と考えていくと、必ず最後は「古文、漢文」などの古典
に行き着きます。
人間でいうところのご先祖様です。
イメージとしては、トーナメント形式で
上に上がっていけば行くほど数は少なくなってきます。
そうして残るのが古典です。
今現在、書店に出回っている本の知識のほとんどは
古典を読めば得られるものです。
大企業の社長も古典を読んでいる
ソフトバンクの孫正義社長は「孫子の兵法」を
オバマ大統領は「シェークスピア」を
それぞれ読んでいます。
その他にも、欧米のビジネスマンの方々は
シェークスピアを愛読している人が多いようです。
技術(スキル)を学ぶことも大事ですが、
何よりも先に仕組みを学ばなければ、次に何をしたらいいのか、
自分の組織での役割はどうなっているのか?
などを考えることができなくなります。
このことから、古典を学ぶことは、物事を広く、柔軟に見たり、
手っ取り早く物事の本質を理解するのに
不可欠なものだということがわかります。
多くの本の参考文献になり得る古典はそう多くはないでしょう。
今の時代でも読み継がれている理由は、
人間にとって長い間変わっていない真実が
古典には書かれているからなのです。
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その論理は少し無理がありませんか?古典が今に通じるものを持っていたとしても、完全に適しているわけではないでしょう。そして、使えそうな知識は既に現代の商魂たくましい方々がより現代風に作り変えて提供しているでしょうから、わざわざ時間をかけて原文を読む必要性が無いと思われます。孫氏の兵法にしてもシェイクスピアにしても現代訳なんて腐るほどある訳ですし
上のかたに同意で、
無理がありすぎますね。
ただ、そういう見方もあります!
教育が時代に追いついてないんです。
今の教育の基本が作られた時は、今の印刷技術やネットがなかったために、古文に重きを置かれているんだと思います。
そのうち、英語なども、技術の発達によって勉強しなくても、英語がわかる時代が来ると思いますよ。
原文を読む必要がないと書いている人への反論です。
原文を読めないということは他人の見解のみを鵜呑みにして物事を考えざるを得ない、浅はかな考えしかできないということになるのではないでしょうか。
拠り所となる人が世間的に権威のある人間だとしても、それが絶対に正しいと言えますか?
その個人の主義によって事実が捻じ曲げられていたり、他の解釈ができることなど往々にしてあるでしょう。
現在あるものの源流を遡れば必ず古典に行き着きます。
その事に気づかない思考の浅さでは、どこかの半島の人間のように、古い文献を読めずに己の都合の良いファンタジーを根拠に言動を繰り返し、世界で大恥を書くことになりますよ。
過去に学ぶ姿勢なくして、未来に過去を超えた良いものを生み出せる理屈がないと私は思います。
人生は有限の与えられた時間なのですから。