「もっと具体的に」とか「抽象的過ぎてわからない!」と言われたりしたことはないだろうか?
そもそも具体的と抽象的とはどういう意味なのだろう?
決定的な意味の違いはどこにあるのか?なぜそのような漢字を使うのか?
両者の違いを比較しながら意味をつかんでいこう。
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「具体的」と「抽象的」の意味とイメージ
まずはそれぞれの漢字の意味についてみていこう。
「具体的」
「具」 ・・・ 事細かに
「具体」 ・・・ 見ただけで、聞いただけでわかるような形になっていること
「抽象的」
抽 ・・・ 引き出す 抜き出す
抽象 ・・・ 物事から共通する性質を抜き出して理解すること
「具体」と「抽象」のイメージとしては以下のようになる。
これを「スポーツ」に当てはめて見ていこう。
「スポーツ」という集合体の中に「野球」「サッカー」「バスケ」
などの要素が所属しているのがわかる。(本当はもっとたくさんある)
すべての共通点は「体を動かす」という性質。それらをまとめてスポーツと呼んでいる。
ここで
「スポーツが好きだ!」というと抽象的になり
「野球が好きだ!」というと具体的になる。
つまり「具体的」とは
「それだ!」とすぐに特定できるもの、すぐに頭の中でイメージができるもののことをいう
「抽象的」とは
大雑把なくくり、特定の共通点を持ったものをグループ化してまとめたもの
ということができる。
例として
「スポーツが好き」というのは、どのスポーツが好きなのかすぐにイメージできないので抽象的。
「野球が好き」というのは、何が好きなのかすぐにイメージでき、その人が野球をやっている姿を簡単に想像することができるので具体的。
よくある話として
「自然保護のため、何らかの解決策を講じなくてはならない」
という表現があるが、具体的にどんな解決策があるのかがイメージできないので、この表現は抽象的であるといえる。
そこで、
「自然保護のため、再生紙を使ったり、植林をしなくてはならない」といえば、どんな解決策があるのかイメージでき、これは具体的であるといえる。
さらに言えば、再生紙をどのように使うか、植林の方法はどんなものがあるか。などにも具体的な方法があり、そこまで考えると話をよりわかりやすく、イメージしやすいものにすることができる。
具体的な話をしたい場合には、自分が考えていることがどういった要素の集合体で構成されているかを意識して考えることである。
また、抽象的な表現を使うと、少しだけロマンチックになる気がする。
「夏が来れば海に行く」 ← 具体的
「季節が来れば海に行く」 ← 抽象的
「明日訪れよう」 ← 具体的
「時が来れば訪よう」 ← 抽象的
具体的、抽象的のどちらが悪いわけではないが、使いどころを誤ると話が複雑になったり、誤解を与えてしまいかねないので、コミュニケーションを円滑にするには意識しておいたほうがいいだろう。
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